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1+1=1を否定しない?学びにのめりこむ力の伸ばし方
子どもののめりこむ力
諸岡:中島さんののめり込む力ってどうやって育まれたのか、幼少期はどういう風に過ごされたのかって言うのをお伺いしたいんですけれども。
中島:はい。最近になって、やっぱりこれは影響あったかなあと思うのは、待ってくれてたんですね、母が。例えば砂場で・・・これも人それぞれだと思うんですけど、私のタイプはずーっと同じことを2時間とか3時間とかやってるみたいなタイプだったみたいなんですよ。外から見たら「この子大丈夫かな?」みたいな感じだったと思うんですけど。ずっと同じことやってたりとかなので、絶対なんか、ねえ、色々いいたくなるじゃないですか、「これもこうしてみたら?」「あっちも行ってみたら?あっちも面白そうだよ」とか。でも割と、そこは待ってくれたみたいで、2時間とか3時間。よく待ってくれたなって思うんですけれど。
諸岡:すごいですね!もう私、無理です。
中島:私も無理だなと思いながら。
諸岡:寒いから行こう!みたいな感じになっちゃう。
中島:そうそうそう!いろんなタイプの子がいると思うので、人それぞれでいいと思うんですけど、その人のペースとかその子のやり方ってあった時に、少し待てるというか。こっちとしてはこうなって欲しいとか色々あると、思わず言っちゃったり・・・私でもそうですけど・・・しがちだけど。やっぱり自分が自分のペースで自分でいい、っていうところの、安心安全な心理的環境ってやっぱり大事な気がしていて。
諸岡:はいはい。
中島:そう。ずーっと黙ってたり、ずっと何か同じことをやってたりとか、っていうことにも、実はその子なりに学んでいる何か世界があるわけなんですよ。だからそこの価値に気づくということは大事。
あとは、やっぱりを五感を使うっていうのはすごく大事な気がしていて。やっぱり自然の中、公園で遊ぶとか、自然に触れるってやっぱり・・・今ね、もちろんSTEAMでプログラミングだとか言われるけれど、 STEAMでも海外のSTEAMでは未就学児なんてほとんどプログラミングっていうよりも、いっぱい遊ぶわけですよ。自然の中ってものすごい学びに溢れてるので。葉っぱ触ったり、石でなんかやってみたり、砂場とかも含めて・・・目的が決められてる何か道具だけじゃないものと遊ぶというか。これ、ゆらぎのある遊びとか言ったりしますけど。ちっちゃい頃は特に、やっぱり外とか自然に触れる・・・ま、これは大人になってからもそうなんでしょうけどね。
諸岡:そうですね。
中島:すごく大事かなっていうのは思ってます。最終的に何かに夢中になる力とかにつながる気はしていて。
中島さんの子どもの頃は?
諸岡:中島さんは小学生とか中学生の頃って、どんな風に勉強されてました?
中島:はい、なるほど。
諸岡:あの普通の親として是非(聞きたいなあと思いまして)。
中島:母の方針なのかわからないですけど、あんまり与えられなかったんですよ。だから先取り教育みたいなものはほぼ一切してなくて。結構、学校の子とかで、みんなドリルとか親にやらせられたりとかして色々やってたんですけど、私はドリルがなかったから、買って欲しいって言ってもなかったから、もう先生のところに行って「ください!」って言って、余ったドリルとか全部もらって帰ってくるみたいな感じの、飢餓感がすごいあったんですね。
諸岡:それ、小学校の何年生ぐらいですか?
中島:ちっちゃい頃かな。1、2、3、4?で、まあ、4年から実は初めてちょと塾に行ってみたんですけど、親も私も塾が嫌いっていう。嫌いっていうと、塾業界に申し訳ないのであんまりあれなんですけど、決まったところで、しかも目的があってみたいな、席次が出てて・・・。なんかそこにコントロールされることは嫌だったんですよ。結局お月謝は払ってもらったんだけど、ほぼいかなかったんですよ。で、テストだけ行くっていう。
諸岡:でもその、塾のお月謝それこそご両親がお支払いになってて、払ってるんだから行きなさい!みたいなことにはならなかったんですか?
中島:そうなんですよ。どちらかというと共犯者みたいな感じで。むしろ、あんまりいくと、そこにコントロールされて嫌だなみたいなのが、多分あって。
*塾関係者 塾が大好きな皆さんへ 当時の塾はそんな破天荒な私の受講方法を受け入れてくれて心から感謝!しています。塾の存在も塾に通うことも否定するものでは一切ありません! 中島さち子より
中島:でもやっぱり、ただの席次だとか、どこかに入るだけなら目標にならなかったていうことは、そこへの反逆意識みたいなものが結構早い時期からあった。っていうのは、自分が学びが好きである原動力にはなっていたと思うんですよね。学びがもし、テストのためのものだったら、多分面白くないですよ、子ども心ながらに。でも、もっと深いものがあって・・・。 それが、人間はコントロールしやすいものだからそいうものでコントロールしてる仕組みがあるけど、必ずしもそれは学びの本質じゃないっていう。
学びの本質を知れば、学びはもっと面白くなる
でも、学びの本質って何ですか?
子どもにこそ響く学びの本質
中島:音楽評論家の浦久俊彦さんも、ちっちゃい頃に、1と1を足すと・・・でも雨とかってこう降ってきてツブ、ツブってなってると、でも足し合わせるとまた大きな1になるじゃないですか。だから、1+1=1ってこともあるんじゃないか、大きな1になるってこともあるんじゃないかって先生に言ったらしくって。そしたら、「お前は馬鹿か」と。「ろくな大人にならないよ」って言われて以来、数学が嫌いになってずーっと嫌いできちゃったっていう話をしていて、それはすごい面白い視点じゃないですか!
諸岡:うん!ねえ。
中島:そういうのが新しい数学につながったりする大事な視点なんですけど、多分、楽なのが正解がはっきり分かる教え方なので、どうしても先生とか学校でも、まずはそれから入っちゃうんですね。
諸岡:うんうん。
中島:それが、全く意味がないとは言わないんだけど、それだけではないっていうことは絶対大事。で、今の時代どちらかというと、そういう計算が正しくできる、正しくちゃんと書ける(ことが)、大事なんだけどこれだけじゃなくなってきてるのは確かで。数学なんかでも、それこそ、1+1=2 じゃなくて、=2に何が入るか、=10に何が入るか、こっち側を考えるとか言われたりしますけど、でもそれこそ、1+1を0と考えたらどうなるかとか、あるわけなんですね、数学の世界でも。特にね、近くにいる親からすると、「なんでこんなの分かんないの!?」2+3が6とかになってるとガーン!みたいになるんですけど、たいした話でもなくて、「そういう考え方もあったか!」ってなるかも知れないし、ほんっとは数学的に大事なのはそっちなんですよ。
諸岡:そうなのか。
中島:そう。
算数の苦手な子の算数の学び方
諸岡:算数が苦手になってしまった子どもでも楽しめる、算数の学び方って何かありますか?
中島:『はじめてであうすうがくの絵本』(安野光雅 著、福音館書店)っていう絵本があるんですけど。これはまあ、ちっちゃい子用に作られてるけど、でも大人が読んでも面白い絵本で、例えば「仲間はずれ探そう」みたいなのなんですけど。これもね、知育書とかによくあるけど、これも観点次第なんですよ。何をもって似てるというか。結構答えが無数に出そうな絵があったりして、あ、じゃあ、何をもって仲間はずれというのか、同じと思うのか。こういう多角的な視点っていのが本当は数学、大事で。今はこういうことを考えたいから、じゃあ、こういう風な視点でこういう分類をしてみようとか。その緩やかさというか、自由性はすごく大事で。例えばその、『はじめてであうすがくの絵本』とかは、すごくそういうことを大事にしてくれるものなので。
答えが1つに必ずしも決まらないようなワークで、良いワークというのがいくつかあるので、そういう問いに本当は出会えるといいかも知れないのと。あと、好きなものがあれば、好きなものの背後に数学あり!みたいな。例えば息子さん、何か好きなものは?
諸岡:テニスが好き。
中島:おっ、すごーい!かっこいい。
諸岡:あ、いや、私が格好つけたかも知れないです。すみません、本当はゲームいっぱいやってるけど。
中島:はははは。それこそ何回うまくいったとか、どこでとった時にうまくいってるかとか。で、もうちょっと深めると確率的なこととか、自分はここが弱いとか見えるかも知れないし。だからそういうところから、あんまり小1の算数、小2の算数とか考えなくて、なんか、いきなり積分入っちゃってもいいのかもしれない、本当に。まあ、積分知るためにはちょっといろいろ考え方はあるんですけど。例えば、トポロジーっていう世界とかって、大学の数学を学んでる人しかやらない世界なんですけど、すごい柔らかい数学と呼ばれるもので。一筆書きが、どんなものだったら一筆書きができるかというところから始まってるような世界なんですけど。小学生でも分かるんですよ、本当に。もちろん深いところになってきたらいろいろあるんですけど、考え方そのものみたいなところは、むしろ小学生くらい頭が柔らかい時期に出会うと、きっと、なるほどなるほどって思うような面白い世界があって。
だから、なんだろう、数学感というかイメージをもっとちゃんと広げてあげる。2+3が5とかやるものだけが数学と思ってたらやっぱり面白くなくなってくるので。ただの機械演習みたいになっちゃうので。
ピアノとかでもそうですけど、ずっと練習だけでこれを正しく!ってやってるとだんだん嫌になってやめたくなるわけですけど。やっぱりでも、すごい美しい音楽を聴いたり、あんなのできたらなとか、広い世界を見てる中で、自由に弾いたものが、すごい今の音が美しかったとか、なんか雨っぽかったとか、そういうところから、なんか自分もできるかもって思う、この、多分両方が必要なんですよね。これを知った上で、ここへ行きたいと思ったら訓練が大事だと納得がいくんだけど、最初の頃って訓練ばっかりやっちゃうから疲れちゃうっていうか。それこそね、なんのためにやってるのかが見えなくなっちゃうっていう。
もっとメタの大きな視点とか自由性とかを見せるのと、自由に考えた考え方どれにも価値があるので、間違ってるとか言わずにその価値はちゃんと認めるというか、面白い!って言う。本気で言わないと分からないと思うんですけど。「なるほど、その見方があったか!」みたいな。
結構、数学って、がんじがらめの0、1で、自分が評価されるような世界じゃなくて、結構生み出していけるというか、自分が関われる世界なんだな、そこに面白さがあるっていうのが、ちょっとずつ見えてくるかも知れない。
あまあだから、変な苦手意識というか、そんなもんだけで測られてたらしょうがないよっていうことと、あと数学ってそんな小さいもんじゃないぜっていうこと、の両方は。
諸岡:なるほど!かっこいい。いいですね。「数学ってそんなちっちゃいもんじゃないぜ!」(笑)
中島:そうそう(笑)。そんな2+3とか言ってる場合じゃない、みたいなのは。それは大事なんだけど。まあね、そう言い出すかも知れないですけどね、こんなんじゃないんだ!つって、やらなくていいんだって言い出すかも知れないですけどね(笑)。
諸岡:その言い訳にはされたくないですけどね(笑)。
ニューヨークで体験した学校教育の魅力
諸岡:中島さんご自身は今、お嬢さんいらっしゃいますよね?おいくつですか?
中島:今、14歳です、中2です。
諸岡:ああ、じゃあもう結構おっきいお子さんなんですね。
中島:そうなんですよ。ニューヨークにも連れてっちゃって、なんかすごい人生経験させちゃいましたが。
諸岡:ああ、すごーい。それは面白そうですね!あの、娘さんと接する時には何かこういうのを気を付けてるとか(ありますか?)
中島:ねえ、子育ってて本当に、めちゃくちゃ面白いけど奥が深いというか。やっぱり、結局枠にはめるのは絶対面白くないとは改めて思いますし。すごくその辺敏感だなって思うんですよね、子どもって。特に日本の文化ってどうしても割とそうなりがちで、大人の期待を「ま、結局こいいうことでしょ」みたいに、なんか変に子どもらしくなくなっちゃったりするわけなんですよ、ある種の忖度というか。それを見て、なんかいろいろ思ったこともあってニューヨークに行ってみたわけなんですけど。でも、やっぱり良かったな〜と思ってて。
なんか、ニューヨーク、それこそ多様性?日本だと気がつかないうちにモノトーンの価値観があったり。大人と子どもが分かれていて、正しいことがまるであるかのように大人の人が枠を決めていて、そこに向かって子どもたちが、こう、一生懸命それになんとか・・・。
ニューヨークは、やっぱり本当に教育どっちがいいかとか、いわゆる学力で言ったら多分日本の方が高かったり、いろいろあるわけなんですけど。ただやっぱり、1人の人間としては扱うんですよ、先生が。先生も周りの大人も。だから、例えば環境の話でも差別の話でもあったら、すぐさまクラスの中でディスカッションするし。その時も誘導するわけでもなんでもなくて、両方の意見が出てくるし。やっぱりみんなが意見を言って議論する。正解があるっていう前提じゃなくて、むしろ正解がないという前提の中で。
先生の方が、これはなにかバイアスを与えちゃうんじゃないかとか、日本だと怖くてなかなか、特に政治とか経済とか差別とかいじめとかでも、なかなかしゃべれないけど。答えがあるものじゃない。だから必ずしも、いじめがいけない!これはいけない!だけ言ってても難しくて、なんでいけないのかとか、やっぱり喋らないと分からないんですよ。だからそこは、すごくいいなって。もちろん学力のこととかいわゆるペーパーテストとかだとどうなのか分かんないし、考え方もいろいろですけど。でもやっぱり思考力とか、本当の意味での考える力は明らかについた気がしていて。すごく良かったなあと思ってます。
中島さち子さんプロフィール
ジャズピアニスト / 数学研究者
STEAM教育家 / メディアアーティスト
steAm, Inc. CEO / STEAM Sports Laboratory 取締役
大阪・関西万博プロデューサー(担当テーマ:いのちを高める)
内閣府 STEM Girls Ambassador
株式会社steAmウェブサイト:
https://steam21.com/